校 歌 の 由 来  

 本校の校歌は、堺の生んだ詩人・安西冬衛先生(故人)の作にかかるもので、当時の校長・中野益利先生と特に親しくされたご縁によるものと聞く。歌詩は先生の「校歌に寄せて」のお言葉の中にも、また制定の時期からも我が国が太平洋戦争の真っ直中であり、当時の本校の方針が滲み出ている。とにかく戦時中の在学生は全定を問わず、この校歌を唱い卒業したものである。
  

校章の由来
 

本校の校章は、創立の趣旨により、化学に必要な水から「雪の結晶」を象っている。これは本校創設にあたられた小林健夫先生の考案によるもので、内側の亀甲模様は、化学教育を中心とした本校を表すものとしてベンゼン核を基調にし、中央に工業の工を配している。また周囲の尖先の六辺は、むろん雪の結晶だが、学究の徒に欠かせないペン先を図案化したものである。新制工高発足に伴い文字は工高となり現在に至っている。

 なお、平成17年度より、大阪府立堺工科高等学校への改称に伴い、順次左のように変わります。



校旗の由来

 校旗は、本校の設立が決定された直後から、中野益利先生(当時教頭、その後二代目校長)が計画考案されたものである。即ち、地は朱色で青春を表し、中央に校章、雪の結晶をおき、その左右に五工の文字を図案化して配している。

 五工は、大阪府立で五番目に設置された工業学校(設立当時は職工学校)の意味であり、校旗の中に校名がないのは、第五職工学校は設立当時の仮称であって所在地が確定すれば、その地名が冠せられる慣わしがあったため。  なお、昭和17年開校した大阪府立堺第二工業学校(現・定時制課程)の校旗は、地は緑色の中央に校章を配し、校名がついている(現在は母校に保存)。また、18年開校の大阪府立堺高等工業学校(現・大阪府立大学の一部)の校章は、雪の結晶の中が高工の文字になっている校章を中央に、地は紫色で周囲に緑どりがあって同様の校名がついている。

 以上の三校は、開校時期が多少違っていても生徒はいずれも旧校舎で学んだものであり、当時は大阪府立堺工業学園とも称した。

   

   現・校旗 
   

 

       
           

 


                                                                                                                          

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